随分古い建物ですが、母屋横の小屋。

日出小学校の運動会の来賓席。
着物姿が目につきます。

我が日出(ひいで)集落にも、昔は小学校があったのです。
複式学級で、3クラスでした。

3年生まで通いましたが、矢部小学校に統合されました。

お茶の荒茶加工場。(生葉を揉んで、乾燥する一次加工)
昔は、集落ごとに共同の工場があった。

今のように、モーターやガス、バーナーが無いので
発動機やマキが、動力源、熱源だった。

温度管理が大変だったろうな〜。
お茶の再生(二次加工)工場。
荒茶工場でできた荒茶を、形を整えたり、
茎や粉を選別して、もう一度乾燥させて製品化する。
お茶工場で働く若い衆。映っているのは11名

一番手前が、園主の父。

現在は30代以下の若い衆は2名。
高校生1名。
中学生3名。
小学生1名。
保育園以下3名。
今、こんな顔で農業をする若者がいるだろうか?

実に、楽しそう (⌒O⌒)
自宅立替のため、我が家の山から木を切り出し
一本一本を丁寧に磨いています。

昭和27年頃だろうか。
日出集落の誰かがお嫁に行くようです。
上のほうに集落が見えますが、車が来れるのは
ここまでだったようですね。

今では軒先まで車が通れます。
これからお嫁に来る方・・・ご心配なく!
昔の花嫁さんはカメラを向けられても顔を上げてはいけません。

V(^0^) Vサインもダメです。 ;^_^A
結婚のための荷替え風景。

トラックは、懐かしいTOYOTAのスタウト。
何の写真か?只今調査中・・・。


その後、「これは結婚前の荷換えの様子でしょう。」
という声が寄せられました。
これも、荷換えの様子でしょうか。

二階の窓のところには、今と変らぬ干し柿が吊るしてあります。
ってことは、11月下旬のようです。
結婚披露宴かな?
側幕の紋は我が家の家紋(丸に井桁)です。

奥の方でこっちを向いているのが、千代吉じっちゃん。
手前から2番目が、父。
八女津媛神社の浮立 八女津媛が岩谷に住み、政を行った矢部村に
引き継がれる八女津媛神社の浮立

「神の巌」という地名となり、現在もその地区の氏子により
受け継がれています。
後ろの建物は昔の矢部小学校の様です。
村の相撲大会。行司さんも力が入ってます!!

左の方は、康暢おっちゃん。
そのお尻辺りに座ってる子は、どうも私みたいです。(^_^;)

近所のかっちゃんの様です。

後ろの車は一人乗りのトラックでしょうか?

これは、青年団でしょう。
お白いを塗って、何をやらかすのやら?
父、・・・・・の若い頃。
どこかで見たと思ったら私の妹にそっくり。
浦安の舞 昭和37年 平家の落人が移り住んだ矢部村。

南北朝時代
御征西将軍、良成親王が晩年を過ごされた矢部村。

多くの歴史を生み出してきた矢部村。

「浦安の舞」は、現在も村内の若い女性によって
受け継がれています。

毎年10月8日の大杣祭典で奉納されます。
右が千代吉じっちゃん
昔は鶏・豚・馬・牛を飼っていた。

小学校低学年の頃、鶏の餌やりと卵取りは、私の仕事でした。
この風景は今でも変らない。
写真中央辺りが、当時造成されたばかりの茶畑。
母屋の横を流れる井川

小さい頃ここで、水浴びをしていた記憶がある。
いくつ位の頃だろう。
川に立ったら、目のまん前にツチガエルがいたのを憶えている。

写真はいとこ・・・かな?
さあだれでしょう?