八女津媛神社
2006/2/12
山奥の小さな小さな神社に祭られている、
八女津媛とは、いったいどんな人だったのでしょう?
八女津媛 銅像
「八女津媛=卑弥呼」という説もあるほど、古い歴史を持つ八女津媛。

 八女市のすぐ近くには、「山門(やまと)郡」や「大和(やまと)町」という地名も在ります。

 日本書紀にも、その名を残すほどの「何か」を持っていた媛ですが、詳しいことは、未だ、解っていないようです。

 神社の右横には、ご覧のように岩山の岩盤がむき出しになった、大きな窟(いわや)があります。

 このあたりの地名にもなっているように、まさしく「神の窟(かみのいわや)」です。

 この窟の中で、雨風をしのぎながら、この地方の政を占いによって、治めていたと聞いたことがあります。

 この地方と一口に言っても、現在の八女地方は、ここから西へ40kmも広がっています。

 矢部村は、八女地方の最東部にあり、大分県と熊本県との県境に位置しています。
八女津媛神社 神ノ窟(かみのいわや)
八女津媛神社 権現杉
 
八女津媛神社の浮流は、昭和3年に奉納された後、第二次世界大戦終了まで休止されていましたが、氏子さん方による並々ならぬご努力のお蔭で、昭和26年1月に復活しました。

 矢部中学校では夏休みを利用し、伝統文化の学習の一環として、この八女津媛神社の浮流を、地元の氏子さんのご協力により習得しています。中学生による浮立は、毎年11月の第2土、日曜日に開催される「矢部まつり」で、公開しています。


 また、同日、神社境内においても、神ノ窟地区の氏子の方たちにより、「もみじ祭り」が行われています。
 境内の敷地を埋め尽くすほどの鮮やかな紅葉と、手作りのだんご汁や里芋まんじゅうなど、たくさんのおいしい山の恵が祭りをよりにぎやかにします。

 氏子による本来の浮流も5年に一度行われ、その年には、11月の「矢部祭り」でも披露されます。
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お茶の千代乃園 八女茶の産直
参考資料「矢部村誌」